[2009年02月07日(土)]
『フェイク シティ』やっと役者・キアヌが戻ってきた!

はい、みなさんこんばんわ。
この頃手放しでオススメできない作品が多くてへきえきしておりましたが、久々にこの作品はもろ手を挙げてオススメいたします!
たっぷりと脚本の妙味、登場人物の誰一人、信じられない疑惑だらけの世界を堪能していただけますよ。
でもこのお話はネタバレしないために、今回のお話はいつもよりずっと少ない目ですよ。え?それは良かった、いつもクドくて長いから“へきえきしてた”?まあ、失礼な。
◆既出記事:一覧リストはこちら
L.A.P.D…ロサンゼルス市警察の警官、トム・ラドロー(キアヌ・リーブス)は“ガンマン”の異名を取るほどの拳銃の名手であり、凶悪犯に対してはいかなる捜査手段も辞さずに遮二無二ターゲットとして“狩る”ハンターでもあった。
彼の所属するのは“風紀班”と呼ばれる部署で、フォレスト・ウィテカー演じる部長のジャック・ワンダー以下、チームが一丸となってロスの暗部を徹底的にえぐり出すことに成功しては、署内での評価を高めていた。
しかしどんな部署にもキナ臭さがあるのが常で、トムも以前相棒だったワシントンとの内部告発の件で因縁深い確執を抱えていた。ある日のこと、トムがたまたまコンビニエンスストアに侵入しようとした二人組のマシンガン強盗を目撃したことから、事態は急転直下することに───

まず、『フェイク シティ』この邦題はよかった。オリジナルの『Street King』はある事柄を示唆してはいますが、魅力的じゃない。珍しく邦題の方が大正解でしたね。
ただ、メインコピーにある「最初に頼れるのは、魂か。弾丸か」というのは違う。これではまるでキアヌ=ラドローが真面目一本な正義の警官のよう。
脚本が『L・Aコンフィデンシャル』のジェームズ・エルロイというだけで、すでに観客は全員を疑って観てしまうので、ある意味彼の旧作を知らない人の方がより楽しめるのではないでしょうか。
でもね、出てくる警官たち、誰も誰も、悪い顔してるの。疑えばキリがないくらい、みんな悪い顔なのね。ある意味、ジェームズ・エルロイが原案・脚本ということで作る側も観客が「さあ、くるぞ、誰が犯人だ、誰が敵だ?」と構えた上で観に来るのが分かってるのね。
逆に、スラム街の麻薬の売人たちとかの方がよっぽど憎めない可愛らしい顔をしてる。ここらのキャスティングも意識してそうしてるとしたら、プロデューサーも監督もかなり“ワル”ですね。
ひねこびた見方をすれば、最初から怪しそうなヤツ、実はそうでないヤツが結構見て取れる。話が進むにつれて「ほうら、やっぱりね」と思うことも多いと思います。
それでも、カラクリの糸をほどいてゆく楽しさは一級品。

この作品のテーマの凄みは犯人捜しではなく、物語を見終えた時点で顔を上げて全体を見直して現実を思い出したときに、果たして自分の周りのことに考えが及んでゾーッとなることなんです。
ハマープロの怪奇映画じゃないですが、観てるときは「なにあれ、ちゃっちいメイクと陳腐な話で、全然恐くないわ」と思ってたのに、家に帰ってお風呂に入ろうと独りになったとき初めて小さな物音にさえビクつき、「ああ、あんなの観に行くんじゃなかった」と後悔している自分に気づくのですね。
かつてクリント・イーストウッドの傑作シリーズ『ダーティハリー』は、悪に対してためらうことなく容赦のない鉄槌を下し、悪党に対してはこれくらいでないとイカンのだ、と単純に溜飲を下げたものでした。
『L・Aコンフィデンシャル』では、さまざまな生き様の警官がそれぞれ汚いことや勝手な事をやりつつも、観ているものに「正義ってなんだ、警官の魂ってなんだ」という疑問を投げかけましたね。
でもあれから12年、「正義とは何か」というテーマは同じでも、切り口が全然違う。『L.A.〜』はなんだかんだ言っても最終的にはストレートな表現でスカッと終わってますが、『フェイクシティ』はずいぶん屈折しています。
“警察の正義”とは、正義という“仕事”なのか、言い換えれば“しょせんは正義という名を振りかざした商売”なのか?と、いうなればタブーの領域。理屈では分かっていても、できることなら考えたくない事実を突きつけてくる。
しかも見た目はアクション映画なので真っ向からではなく、背中からジワジワとテーマが突き刺さってくるのです。
なんて怖い話でしょうか。これが、『L.A.〜』以来12年、さらに磨きの掛かったジェームズ・エルロイの手腕なんですね。

きっとこの作品をごらんになった方の多くがその結末に「お、おいおい!?」って突っ込まれることでしょう。
そこでこの映画とキアヌの演技の評価が分かれるかも知れませんが、そう思わせるところが実は作り手たちの思うつぼ。
そう言う意味では、サブタイトルの「ある男のルール」という補足が活きているのかも知れませんが、もちろん見たままの単純な意味ではありません。もっともっと深いところにこの映画の怖さがあります。
ところでこの映画、銃撃戦もそうですし、かなりリアルな死体がバンバン登場するんですが、15禁とかじゃないんですね。いや、私は子供に残虐なシーンを見せるのは大賛成です。人が死ぬとこんな惨いことになるんだという事を知らないから、その恐ろしさが分からない。
こんなインタビューを思い出しましたよ。
どっかの冒険家に記者が訊ねました。「あなた、独りで山に籠もっていて狼やクマが恐くありませんか」
冒険家は応えて「彼らは腹が空いてない限り襲っては来ない。私は人間の方がずっとオソロシイ」
それでは、また、傑作を見つけたらお逢いしましょうね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。ちなみに私───
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*イメージ画面は予告スチールから拝借いたしました。
『フェイク シティ』日本語公式サイト
彼の所属するのは“風紀班”と呼ばれる部署で、フォレスト・ウィテカー演じる部長のジャック・ワンダー以下、チームが一丸となってロスの暗部を徹底的にえぐり出すことに成功しては、署内での評価を高めていた。
しかしどんな部署にもキナ臭さがあるのが常で、トムも以前相棒だったワシントンとの内部告発の件で因縁深い確執を抱えていた。ある日のこと、トムがたまたまコンビニエンスストアに侵入しようとした二人組のマシンガン強盗を目撃したことから、事態は急転直下することに───

まず、『フェイク シティ』この邦題はよかった。オリジナルの『Street King』はある事柄を示唆してはいますが、魅力的じゃない。珍しく邦題の方が大正解でしたね。
ただ、メインコピーにある「最初に頼れるのは、魂か。弾丸か」というのは違う。これではまるでキアヌ=ラドローが真面目一本な正義の警官のよう。
脚本が『L・Aコンフィデンシャル』のジェームズ・エルロイというだけで、すでに観客は全員を疑って観てしまうので、ある意味彼の旧作を知らない人の方がより楽しめるのではないでしょうか。
でもね、出てくる警官たち、誰も誰も、悪い顔してるの。疑えばキリがないくらい、みんな悪い顔なのね。ある意味、ジェームズ・エルロイが原案・脚本ということで作る側も観客が「さあ、くるぞ、誰が犯人だ、誰が敵だ?」と構えた上で観に来るのが分かってるのね。
逆に、スラム街の麻薬の売人たちとかの方がよっぽど憎めない可愛らしい顔をしてる。ここらのキャスティングも意識してそうしてるとしたら、プロデューサーも監督もかなり“ワル”ですね。
ひねこびた見方をすれば、最初から怪しそうなヤツ、実はそうでないヤツが結構見て取れる。話が進むにつれて「ほうら、やっぱりね」と思うことも多いと思います。
それでも、カラクリの糸をほどいてゆく楽しさは一級品。

この作品のテーマの凄みは犯人捜しではなく、物語を見終えた時点で顔を上げて全体を見直して現実を思い出したときに、果たして自分の周りのことに考えが及んでゾーッとなることなんです。
ハマープロの怪奇映画じゃないですが、観てるときは「なにあれ、ちゃっちいメイクと陳腐な話で、全然恐くないわ」と思ってたのに、家に帰ってお風呂に入ろうと独りになったとき初めて小さな物音にさえビクつき、「ああ、あんなの観に行くんじゃなかった」と後悔している自分に気づくのですね。
かつてクリント・イーストウッドの傑作シリーズ『ダーティハリー』は、悪に対してためらうことなく容赦のない鉄槌を下し、悪党に対してはこれくらいでないとイカンのだ、と単純に溜飲を下げたものでした。
『L・Aコンフィデンシャル』では、さまざまな生き様の警官がそれぞれ汚いことや勝手な事をやりつつも、観ているものに「正義ってなんだ、警官の魂ってなんだ」という疑問を投げかけましたね。
でもあれから12年、「正義とは何か」というテーマは同じでも、切り口が全然違う。『L.A.〜』はなんだかんだ言っても最終的にはストレートな表現でスカッと終わってますが、『フェイクシティ』はずいぶん屈折しています。
“警察の正義”とは、正義という“仕事”なのか、言い換えれば“しょせんは正義という名を振りかざした商売”なのか?と、いうなればタブーの領域。理屈では分かっていても、できることなら考えたくない事実を突きつけてくる。
しかも見た目はアクション映画なので真っ向からではなく、背中からジワジワとテーマが突き刺さってくるのです。
なんて怖い話でしょうか。これが、『L.A.〜』以来12年、さらに磨きの掛かったジェームズ・エルロイの手腕なんですね。

きっとこの作品をごらんになった方の多くがその結末に「お、おいおい!?」って突っ込まれることでしょう。
そこでこの映画とキアヌの演技の評価が分かれるかも知れませんが、そう思わせるところが実は作り手たちの思うつぼ。
そう言う意味では、サブタイトルの「ある男のルール」という補足が活きているのかも知れませんが、もちろん見たままの単純な意味ではありません。もっともっと深いところにこの映画の怖さがあります。
ところでこの映画、銃撃戦もそうですし、かなりリアルな死体がバンバン登場するんですが、15禁とかじゃないんですね。いや、私は子供に残虐なシーンを見せるのは大賛成です。人が死ぬとこんな惨いことになるんだという事を知らないから、その恐ろしさが分からない。
こんなインタビューを思い出しましたよ。
どっかの冒険家に記者が訊ねました。「あなた、独りで山に籠もっていて狼やクマが恐くありませんか」
冒険家は応えて「彼らは腹が空いてない限り襲っては来ない。私は人間の方がずっとオソロシイ」
それでは、また、傑作を見つけたらお逢いしましょうね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。ちなみに私───
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*イメージ画面は予告スチールから拝借いたしました。
『フェイク シティ』日本語公式サイト










